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当ページはブログではないですが、ブログっぽいことをよく書いていたので、ブログでよくある「最近観に行った映画のお話」を書こうかと思います。 どの映画も、公開からしばらく経っていますので、ネタバレとかあまり気にせず書きますからご注意ください。 ![]() ネタバレします。 ■トラペジウム まず、映画館ではないですが、配信で「トラペジウム」を観ました。 東西南北の、アレです。トラペジウム。 タダものではない作品であるとは存じていましたが、タダものではありませんでした。 特に、舌打ちの「チッ」。 原作小説は、本人も現役アイドルだったそうですが、その活動と並行しながらあんなに華やかで、ドス黒いシーンを書き、しかも最後はハッピーエンドに昇華させる精神力が凄すぎます。話の中身もスゴイが、これを書き上げる人もスゴイ。これくらいの精神力がないと、アイドルなんてやってられないんでしょうね。 ■『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来 で、その舌打ちの「チッ」が頭にこびりついている状態で、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来を観ました。 この映画の中で、虫柱 胡蝶しのぶの舌打ちの「チッ」を聞いて、トラペジウムが無駄にフラッシュバックしてきて、味わい深かった。 原作コミックは、だいぶ昔にすべて読み終えていますが、もう細かいところはほとんど忘れていて、映画を素の状態で楽しめたと共に、帰宅後は原作コミック17巻あたりからすべてを一気読みしなおしました。 やっぱり、「鬼滅の刃」原作のポテンシャルが高すぎる。 で、ネットの海をめぐって、感想を書いている人を探していたのですが「カナエミュ」という言葉を書いている人がいるんですよね。 「カナエミュ」とは何かというと、「しのぶは、普段は姉・カナエの行動・思考・言動などを表面上エミュレーションしているだけであり、内心は常に怒っている」というもの。しのぶが炭治郎に明かしたことがあったように、「しのぶは常に怒っている」ことが明かされています。 特に、カナエが死ぬ前のしのぶは、表面上も怒りを隠していなかった。 でも、炭治郎と出会っている時代以降のしのぶは、常に笑顔を浮かべ、余裕を持った会話と行動をしています。 でもそれは、単にカナエミュしているだけというもの。 上弦の弐・童磨との戦闘で、いきなり怒りモードに突入したのは、性格が豹変したからではなく、カナエミュを終了して、本来の内心が表に出ただけということですね。 このストーリーのポテンシャルは原作からあるものなので、やっぱり原作のポテンシャルはスゲェよなぁと思ってしまいます。 ■事故物件ゾク 恐い間取り 事故物件住みます芸人・松原タニシ氏の実話エピソードをまとめた書籍を映画化したもの。第2弾。 映画第1弾の終盤の戦闘シーンが謎すぎたので(酷すぎたので)、今回はどうするのかな?と思っておりました。 そしたら、序盤に伏線を張って、最後に見事に回収するという、すばらしいストーリーに仕上げられておりました。 中田監督、今回はちゃんと、エラいです。ありがとうございます。 序盤で、「社長に酒飲みを突き合わされ、はぐれ、偶然入ったお店に、役者仲間がいて出会う」なんて、あまりにも出来すぎな話だなぁと思っていたら、実は伏線で、見事に最後、回収されて。 何回か見たくなる映画です。 終わった後、画面上に表示された文字を観て、観客が「松原タニシって誰?」って聞いていました。 オイオイ、原作者が誰かも知らずに見に来るやつなんかいるのかよ!?と思いましたが、オカルト界隈に興味のない人であっても、Snow Manの渡辺翔太が観たくて来ているんですよね。よく考えたら、Snow Manを観たくて来ている人が、松原タニシを知っている訳がないか。 ってことは、あれか。 画面上に大きくと、田中俊行(呪物コレクター・イラストレーター)と、大島てる(事故物件地図サイト管理人)がどーんと映っていたシーンは、どう見てたんだろ? 巨大スクリーンでこの2人が観られるなんて、この映画くらいしかないだろう!とか思っちゃうんだけど、たぶん、知らなければ何も考えないんでしょうなぁ。 ■サユリ これもまた映画館に観に行ったわけではないのですが、配信で「サユリ」を観ました。 押切蓮介氏の原作漫画は読んでおりましたので、だいたいの流れは知っていましたが、やはり、豹変するおばあちゃんを演じる役者が凄いという話を聞いて、いつか見たいと思っていました。それと、原作であんなことになっている物語の最後の方を、どう片付けるのか。 そして、この後、観ようとしている「近畿地方のある場所について」の、白石晃士監督の、予習というか、復習というか・・・。 白石晃士監督作品で、最後に観たのが「貞子vs伽椰子」でしたので、感覚を取り戻しておかないといけなそうな気がしたので。 物語序盤は、ただただツライものを観させられるだけとなります。 これは原作コミックと同じです。コミックの時はこれで脱落する人も多くいたと聞きますが、映画館ではお金を先に払っているので、脱落の敷居が高い。 そういう意味では、映画向きの作品だったかもしれません。 そして、物語の中盤。覚醒し、豹変するおばあちゃん。神木春枝。 根岸季衣さんが演じているそうですが、豹変前と豹変後が、別人にしか見えません。すげぇなこの人。つくづく、役者って職業の凄さを思い知らされます。 で、気になっていた物語終盤。 原作を飛び越えてサイコな展開になっていました。 原作者・押切蓮介と、監督・白石晃士は、同じ報告のベクトルを持っていたみたいです。映画化が「強化」の方向で働いていました。 さぁ、白石晃士の予習と復習はばっちりだ。近畿地方へ行こう! ■近畿地方のある場所について 行こう!近畿地方へ!(範囲が広すぎるだろ←ツッコミ) 原作小説は読んでいますので、こちらも大体の内容は把握しています…が、かなり忘れかけている。 思い出すこともできるかなぁと思いつつ、新鮮な気持ちで観に行きました。 白石晃士監督であることを忘れかけてました。 あれ? 原作者の背筋さんと、白石晃士監督のベクトルの方向、ずれてない? 菅野美穂って、こんな感じだったっけ? 触手は、えーっと、触手は、ああ、そうだ。白石晃士監督作品だった。触手で思い出した。白石晃士監督だ。 まぁ、この映画には怒っている人も多いという話は聞いていましたけど、後からTHCオカルトラジオさんの映画レビューで、脚本に「"それ"がいる森」の人がかかわっていると聞いて、悪い意味で納得しました。 悪い意味でね! まぁ、原作者の背筋さんが、白石晃士監督のファンだそうですので、もし背筋さんが納得されているのなら、良いかと思います。 ■ジュラシック・ワールド/復活の大地 スティーブン・スピルバーグ氏が大作映画をプロデュースするんなら、安心だろう…という、ある種の安心感と共に観に行きました。 直前にみた近畿地方があんな感じで not for me な感じでしたので、安心が欲しかった。 実際、大衆映画って感じでしたね。 舞台は、もはや恐竜ブームも飽きられた時代という設定。ニューヨークの交通を寸断させる恐竜を観て、人々が「うんざり」するレベルという世界観。 そこで、金儲けの目的で、恐竜のいる島に乗り込もうという一行。 一行のうちの一人は、アベンジャーズでおなじみの、スカーレット・ヨハンソンじゃないですか。いいな、この安心感。 船を操縦するニーナの吹替えの声が聞こえるたびに、名探偵コナンが頭をよぎるのが気になりましたが、早々に退場されたのでOK。 (この、コナン声の人が襲われるシーンって、なんだか不自然な感じがしたんですよね。CGをあまり使いたくなかったのかな) 救助のヘリコプターが来たときは、カプコンのゲームの見過ぎのためか、「絶対落ちる」と思ってしまいました。 落ちたけど。 まぁ、全体的に、大衆映画のためのレギュレーションが遵守され、悪いことを人は酷い目に遭い、恐竜の子供「ドロレス」はマスコットとしての役割を全うし、最後には金儲けのための目的を破棄する。遺伝子操作で作られた恐竜はエイリアンっぽい(頭が良い=脳が大きい=頭がデカい)。 恐竜映画だからドキドキするシーンが多かったのですが、メタな視点としては、この上ない安心感に包まれてました。 ああ、大衆映画だなぁ。 ■8番出口 KOTAKE CREATE氏の原作ゲームを映画化したもの。 原作のゲームは、PC版(Steam)、Switch版を購入し、どちらもクリアし、全異変の回収まで行っていますが、やればやるほど、この作品をどう映画化するのか、さっぱり分かりませんでした。 なので、この映画が成功するのか、失敗するのか、全く予想できず。失敗の可能性の方が高いのではないか?とまで思いながら。 一切の事前情報を排除し、公開2日目に観に行きました。 個人的には、とても面白かった。 後述する理由のため、『個人的には』と付けさせてもらいます。 まず、二宮和也演じる主人公は、8番出口で迷う以前に、人生に迷っています。 おそらく仕事がうまくいかずに派遣先を転々とし、今日も初めての派遣先。そんなときに電話がかかってきて、元彼女が妊娠していたことが発覚。 横では大泣きする赤ん坊。それを怒鳴りつけるサラリーマン。何もしてあげられない。 突きつけられる判断が下せない。下せないから派遣の仕事がうまくいかないのかもしれません。 この辺りで、喘息に罹患している描写が出てきます。 僕も小学生の頃、小児喘息でした。大人になってからは喘息の症状は出にくくなりましたが、昔の記憶が蘇ります。 そういえば、子どもの頃に観た映画「グーニーズ」でも喘息の少年が出てきていました。物語序盤では、不安になるたびに喘息の発作が起き、吸入薬を使う。物語最後に自信が付くと、吸入薬に頼らない描写が登場する。 この「8番出口」の映画でも、喘息は「主人公の心理描写」の表出として使用され、物語序盤~中盤は、頻繁に吸入薬に頼る描写が出てきます。吸入薬=不安の象徴というわけですね。 このあと、ゲームと同様に、8番出口のルールに翻弄されます。 おじさん役の河内大和さんが、非常に良い味を出しています。 どうやら、カンヌ映画祭では、あまりに正確な演技のため、CGで描かれていると誤解をされたんだとか。 しかし、河内大和さんは舞台役者であり、舞台役者にとって、何回も「同じ歩き方をする」というのは基本中の基本。舞台役者としての本領発揮どころ。・・・と、後から聞きました。 物語中盤からは、おじさんが怪異になる前、まだ人間だったころが描かれます。 このとき、僕が原作ゲームをやっていた時にやりたかった事(壁に貼られた「ご案内」を剥がして、床にたたきつける)をやってくれた。 ありがとう、おじさん。 で、問題は終盤頃です。 原作ゲームでも登場した、水に流される描写。 原作ゲームでは、「赤い水」です。 「赤い水」と聞いて最初に思い浮かぶのが、「サイレン」というゲームであり、水が赤いというだけで、おどろおどろしいイメージが付与されます。 これで良かったんだと思います。原作のこの表現で十分だった。 でも映画では、津波警報のような音とともに、大量の水が流れてきて、あたかも津波のようでした。その津波は大量の土砂だったり、日用品を流してきます。 3.11を連想させるような、津波。 この描写、必要だったんでしょうか。 今でこそ、映画の公式Xで、津波の描写に関する注意喚起が投稿されましたが、映画公開時点ではそれはありませんでした。 たぶん、劇場で堪えられなくなってしまう人もいるのでは? 配慮が必要な描写でした。 普通に原作通りの「赤い水」でいいんじゃなかったのかな? わざわざ「津波」を連想させる必要はあったのかな? 3.11を経た、平成後期・令和初期の邦画としては、レギュレーション違反だったと言わざるを得ません。 こういう意味で、最初に書いたような「『個人的には、』とても面白かった。」と書かざるを得ない状況となってしまいました。 面白かったんだけどなぁ。 あの、ストーリーも何もない、「8番出口」での迷いを、主人公の人生の迷いの拡張として描き、その迷いからの解放、主人公の心の成長が重なって、すごくよいシナリオだったと思ったんだけどなぁ。 津波の描写はいただけなかった…。 まぁ、総合評価としては面白かったです。 川村元気監督の小説版も買ったので、これから読みます。 ![]() あと、電車移動の時には、しばらく、ラヴェルの「ボレロ」を聞くことにします。 目次の表示: ブログではないので、コメント機能とトラックバック機能は提供していません。ご質問・ご意見等はメール、フィードバックまたはTwitter等からお願いします。いただいたご質問・ご意見などは、この「管理人のひとこと」の記事に追加、あるいは新規の記事にする形で一部または全文をそのまま、あるいは加工させていただいた上で、ご紹介させていただく場合があります。 当サイトでは掲載内容による不具合等に関する責任を持ちません。また、内容の正確性についての保証もありませんので、情報をご利用の際は、利用者の自己責任で確認をお願いします。 |
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