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■庚申講を天帝が不審に思う事はないんだろうか

2025年11月 6日(木) 0:00:00



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庚申講(こうしんこう) というものがあります。

人間の体内にいる「三尸(さんし) の虫」が、庚申の夜に、人間が寝ている間に天に昇って天帝に罪を報告し、寿命を縮められるという伝説があるところから生まれた話で、庚申の夜に徹夜で神仏を祀り、夜を明かすことで三尸の虫が天に昇れないようにするという儀式というかコミュニケーションの場につながります。

で、報告を受けられなくなったことで、逆に天帝が怪しく思うことはないのかな?と思ったりします。

他の人のことについては報告があるのに、特定の人物については報告がない。何か悪いことが起きているのではないか?と、天帝に直接覗きこまれたりすることにならないのか?と。

もしかしたら、「便りがないのは良い便り」とか、「全体でどれくらいの人間がいるかなんてそもそも把握していないので、報告に来ない人間のことについては存在しないこととみなす」みたいなことがあるのかもしれません。

報告をされたらその場で寿命を縮められるスタイルならこれで通じるのかもしれませんが、地獄の閻魔様方式(報告内容が閻魔帳に書かれており、それにより生前の行いが評価されて、天国行きか地獄行きかが決まる)だった場合、妙に記載内容の少ない閻魔帳を見て怪しまれ、秘儀「地獄耳」を使われてしまって、色々悪いことがバレる事につながらないか? とか。

いろいろと逆なことを考えてしまいます。


※AI生成によるイメージ画像



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