INASOFT 管理人のひとこと


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■疑似シリーズ&INASOFT25周年記念企画第5回『疑似シリーズ 雑誌発掲載!裏話』(テキストによる紹介)

2022年 7月 1日(金) 0:00:00



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2022年6月26日から公開している疑似シリーズ&INASOFT 25周年企画に関する補足紹介第5回です。

疑似シリーズは、INASOFTで製作しているジョークソフトで、元々は、製作者たちが1997年に、高校在籍中に文化祭の出し物の中に「屋根裏」として忍ばせた作品群であり、そこから派生していったものになります。

この高校文化祭のノリは翌1998年、浪人生(予備校生)として過ごした期間も続き、1999年に大学に入学しても続き、社会人になっても続きました。

この度、その「高校文化祭のノリ」が25年経過し、アニバーサリーイヤーを迎えました。「INASOFT」の名前は、最初に疑似シリーズ内でクレジットされたものとなりますので、INASOFT自体も生誕25周年となります。

一方で、25年の間にPC環境もどんどんと変わっていきました。NEC PC98シリーズ(NXを除く)でないと動作しないもの、MS-DOS(16bit環境)でないと動作しないもの、Windows 95/98でないと動作しないもの、Windows XP以下でないと動作しないもの、等々... そういったものについて、現在の環境での動作が難しくなってきたことから、今のうちに、紹介を兼ねて、過去の疑似シリーズの動きを動画として残しておくことにしました。

第5回目(昨日)は、こちらにアップロードしてあるものとなります。

簡単に、文字と画像でもご紹介します。

DOS/V POWER REPORT 1998年11月号
▲インプレス社「DOS/V POWER REPORT 1998年11月号」

1998年。予備校生活を送りつつも、文化祭のノリをキープしてジョークソフトを作り続けていたところに、ついにコンピュータ雑誌からの収録依頼が来た。

これは疑似シリーズとしても、INASOFTとしても、初の雑誌掲載となった。今回は、当時の関係者の記憶をたどり、雑誌掲載に関する裏話をご紹介する。

まず、1998年当時の疑似シリーズの配布方式について説明しておきたい。

1998年当時の疑似シリーズの配布方式

当時はまだ、インターネットは今ほど普及しておらず、Webサイトでの一次配布は行われていなかった。

パソコン通信である草の根BBS「のえるねっと」を一次配布先とし、そこから他のパソコン通信「東京BBS」やインターネット(Vector)へ転載されていた。

一般的にオンラインソフトの配布は、パソコン通信である「ニフティサーブ」や「東京BBS」などで行われていたが、パソコン通信は、現代のインターネットのように人々に浸透していたわけではなく、オンラインソフトの雑誌収録は、パソコン通信を使用しない人に対してもソフトウェアを届けるための重要な役割を担っていたともいえる。

DOS/V POWER REPORT 1998年11月号は「特集 お楽しみソフト」

インプレス社発行の「DOS/V POWER REPORT」1998年11月号は「特集 お楽しみソフト」

この流れから、お楽しみソフトを探す収録担当者の目に疑似シリーズが留まることになった。

DOS/V POWER REPORT 1998年11月号に乗った疑似シリーズは「疑似アクティブデスクトップシリーズ」と「疑似タスクー」

当時掲載された疑似シリーズは、疑似アクティブデスクトップシリーズと、疑似タスクバーの2つ。

疑似アクティブデスクトップシリーズは、画面上をGの如く飛び回るウィンドウを退治するジョークソフト。疑似タスクバーは、偽物のタスクバー上を逃げ回る偽スタートボタンを退治するジョークソフトだ。

今回、当時、DOS/V POWER REPORTでオンラインソフト収録を担当していた中村友次郎さん(finalbeta lab.)に、当時のことを伺った。


INASOFT矢吹 当時担当されていたお仕事の範囲を教えてください。

中村さん DOS/V POWER REPORT(パワレポ)編集部で、付録CD-ROMの制作統括やオンラインソフト紹介の連載記事の編集を担当していました。編集部にはアルバイトとして入ったのですが、オンラインソフト好きが編集部に知られて、入社数カ月でアルバイトながら、こうした仕事を任されるようになりました。

INASOFT矢吹 1998年当時における、オンラインソフト全般がどんな状況だったか、覚えておられる範囲で教えてください。

中村さん 実用的なソフトからゲーム・デスクトップアクセサリといった趣味系のソフトまで、多くのソフトが日々公開・バージョンアップされておりたいへん盛況でした。
まだ常時接続のインターネットはあまり普及しておらず、通信速度的にもファイルのダウンロードに一苦労するような時代でしたので、そうしたオンラインソフトをCD-ROMに収録して売りにする雑誌も多かったですね。パワレポでも目玉コンテンツでした。
当時の盛り上がりを象徴する出来事としては、パワレポ主催で、オンラインソフトの作者さんをホテルに集めてパーティをしたことがあるんですよ。日頃収録させていただいているお礼という形で。数十人は集まったのかな。今でもバージョンアップが続いている「秀丸エディタ」の作者さんもいらっしゃいました。

INASOFT矢吹 この号では、お楽しみソフトが特集として組まれていました。当時のジョークソフトの立ち位置を覚えていたら教えてください。

中村さん 多くのオンラインソフトは個人が作るものですから、実用ソフトなら商業ソフトでは手が届かないような細かい使い勝手を改善するなど、小粒なものが多かったと思います。趣味系も同様に、アイデア勝負の小粒な作品が多くありました。
明確にジョーク・ネタを目的としたソフト自体はそこまで多くはなかったと思いますが、ユニークな内容のスクリーンセーバーや、可愛いデスクトップアクセサリ、ミニゲームなど、「お楽しみ系ソフト」という括りで言えばオンラインソフトにおける1ジャンルとして確立していたと思います。
パワレポのオンラインソフトの収録では、定番ソフトに加えて毎月テーマを決めて特集をしており、この号はまさに「お楽しみソフト特集」でした。その流れでジョークソフトなどを収録させていただきました。それも確か、2回目なので、人気ジャンルだっただろうと思います。

INASOFT矢吹 お楽しみ系ジャンルの中で「疑似シリーズ」がどんなふうに見えたか覚えておられる範囲で、教えてください。

中村さん お楽しみ系ソフトは色々出ていましたが、疑似シリーズのようにジョーク・ネタに振り切っているソフトはそこまで多くありませんでしたので、まずそこで印象に残りました。その上で、シリーズ展開しているというのも珍しかったと思います。
ネタの内容も、パソコンの異常動作に見せかけるようなものもあったり、さらにドキュメントの内容もはっちゃけていて、「攻めてるな(笑)」と感じたのを覚えています。

INASOFT矢吹 このころはまだネット黎明期。収録ソフトを集めるにしてもインターネットでは不足していたと思いますが、どうしていましたか?

中村さん 当時はまだ、インターネットで個人制作のソフトを探すのは難しかったと思います。多くの人がソフトを公開し、また僕らのような雑誌編集部の人間がソフトを探すのは、もっぱらパソコン通信サービスでした。
一番見ていたのはやはり、大手商用サービスであるNIFTY-Serveですね。オンラインソフトを公開したり、感想を語り合ったりするフォーラムがいくつもあって、毎日のように巡回していました。作者さんにCD-ROMへの収録を依頼するのも、NIFTY-Serveのメール機能を通じてが多かったと思います。
もう一つ、ソフト集めでお世話になっていたのが東京BBSです。パソコン通信は非商用で有志が開設している、いわゆる草の根BBSも多数ありました が、その中でも東京BBSは規模が大きく、NIFTY-Serveのような商用サービスでは公開されていないソフトを探して巡回していました。
「疑似シリーズ」を見付けて収録のお願いを送らせていただいたのも、確か東京BBSでした。

INASOFT矢吹 後の号でも、他の疑似シリーズや、いじくるツール/いじくるつくーる、すっきり!! デフラグなど、いくつものオンラインソフトを収録していただいていました。それらの時における、ソフトの立ち位置、当時の感触を教えてください。

中村さん 疑似シリーズについては「これは面白いので紹介したい!」と、収録担当である自分の一存で収録させていただきました。
定期的に新作が出るので風物詩のような感じで、自分も楽しみつつ紹介させていただいていた覚えがあります。
一方、「いじくるツール/いじくるつくーる」「すっきり!! デフラグ」は、紹介するまでもなくオンラインソフト好きなら誰でもが知っているような人気ソフトだったように記憶しています。
システムの細かい動作をチューニングするソフトと、デフラグを便利にするソフトは、当時のWindowsユーザーにとって定番中の定番でしたよね。 パワレポでも、定番ソフトとして毎月のように収録させていただいていたと思います。

INASOFT矢吹 当時、オンラインソフトの収録をされる上で、特に注目していたこと、注意していたこと等あれば、教えてください。

中村さん パワレポ編集部に入る前から、とにかくオンライソフトが好きで、新しいものを見付けては試していました。
実用ソフトならパソコンの不便な点をこういう風に解決するのか!とか、お楽しみ系ソフトでも思いもよらないネタが出てきたりと、どんどん新しいアイデアが出てくるのが面白く、そういった柔軟なアイデアの数々に注目し、これをぜひ読者に紹介したい!というモチベーションで仕事をしていた覚えがあります。
注意点はやはり、他人様の著作物を転載という形でお預かりするわけですから、しっかり許可を取るという点でも、許可を頂いたあとの扱いでも、失礼のないようにというのは心がけていました。
それでも稀に、連絡の不行き届きがあったり、掲載内容に間違いがあったりして、ご迷惑をおかけしてしまうことがあり、そんなときはお詫びしつつ大反省でした。何しろ月刊の雑誌なので、何かあったら訂正を出すなどフォローできるのは約1カ月先の次の号になっちゃうんですよね……。
あと当時のパワレポでは、CD-ROM収録のお礼に掲載誌と一緒にノベルティグッズを送っていたはずです。目玉コンテンツとしてお世話になっているので、感謝の気持ちを忘れずにというのは、当時のCD-ROM制作班の雰囲気としてあったと思います。


中村さん、ご回答ありがとうございました!

なお当時、東京BBSへの転載を行っていて、収録依頼を受ける側となったメンバー ねっとれんじゃー氏にも当時の様子を聞いてみた。


INASOFT矢吹 当時、収録依頼を受け取った時の感想を教えてください。

ねっとれんじゃー 連絡をもらった時は、驚き7割、疑い3割といった感じでした。東京BBSのプロフィールを見るだけでは、本当に雑誌編集部からなのか分からなかったので。
収録誌と記念品が贈られてきて、初めて実感が湧いてきました。
メールへの返事を出すときには、とにかく失礼がないように、とても緊張しながら返信したのを覚えています。

INASOFT矢吹 どんな感じの趣旨・企画で収録依頼を受けたか等、覚えている範囲で教えてください。

ねっとれんじゃー たしか、「DOS/V POWER REPORTという雑誌の者ですが…」という感じでした。
ただ、失礼ながら、当時は存じ上げない雑誌名だったことと、本当に雑誌関係者なのかな?と分からなかったこともあり、当初は本当かな?と思ってしまっていました。
一方で、「本当ならBio_100%みたいにメジャーになれるかも?」とか考えていました。

INASOFT矢吹 当時のパソコン通信上における、オンラインソフトの状況や、ジョークソフトの状況など、覚えている範囲で教えてください。

ねっとれんじゃー アスキーネットでは、特定の団体や個人を揶揄するようなものがジョークソフトとして存在していました。
東京BBSでは、KUNSAMAさんという方がジョークソフトを作っていた気がします。
覚えているのは「チープダンジョン」というジョークソフトで、ダンジョンに入ったら、いきなりゲームオーバーのようなソフトだったと記憶しています。

INASOFT矢吹 当時の疑似シリーズが、それらの中でどんな位置を占めていたか、また、自身としてどんな印象で疑似シリーズを捉えていたか、覚えている範囲で教えてください。

ねっとれんじゃー MS-DOS汎用のソフトがまだまだ作られていた時代だったので、Windows向けのソフトはそんなに多くなかった印象の頃です。そんな中で、疑似シリーズはファイルサイズが大きかった。そういうクレームが2件来てました。


ご回答、ありがとうございました!

ちなみに、最後の回答にあったファイルサイズについて、一言添えておきたい。
Windows向けのソフトウェアは、MS-DOS向けのソフトウェアに比べると、比較的ファイルサイズが大きくなりがちな上、Borland C++ Builderで作られるexeファイルは、内容が空でも270KB近くに達するほど大きかった。
これを嫌って、Microsoft Visual C++に乗り換えた思い出がある。

* * *

今ではインターネットが普及し、常時接続・ブロードバンドが当たり前になってしまい、その価値は薄れてしまったが、雑誌収録は、当時は大変名誉に感じられる出来事だった。久しぶりに、そんな日々の思い出に浸ることができた。


1998年は、まだINASOFTのWebサイトも立ち上がっておらず、雑誌収録される機会はほぼ皆無でした。翌1999年になると、雑誌収録依頼を受ける数増えてきました。DOS/V POWER REPORTへのCD-ROM収録依頼は、皮切りというか、第一歩というか、そこから十数年程度続く雑誌収録依頼全ての始まりのような重大イベントとなりました。

作者と同じように1990年代末期~2000年代前半付近で、オンラインソフトの開発をしていて、雑誌への紹介文掲載や、付録CD-ROMメディアへの収録に関して関わったことのある方なら、なんとなく懐かしい雰囲気が味わえたのではないかと思います。

あの頃。作者はまだ、社会人になっていないモラトリアム人間でしたが、振り返ると色々ありました。別雑誌になりますが、誤掲載でドンパチやり合ったこともあったなぁ…。誤掲載でいうと、ソフトバンク系の某雑誌がけっこう酷かった思い出…。

今回、まだ繋がりのある方のうちのお一人ということで、中村さんに取材の依頼をさせていただき、快諾を頂きました。ありがとうございました。

当時を振り返ると、色々とお世話になった編集者さん、仲介業者さんなど、たくさんいらっしゃいました。オンラインソフトの雑誌収録という文化が途絶えた昨今では関係性も切れ、もはや連絡が取れる編集者さん・仲介業者さんはほんのわずかしかいません。しかも1名は、政治系の方で超々有名になっちゃって、もはやこちらから声をおかけするのは精神的障壁が高い。作者にもっと"パッション"があれば、お声をおかけしたい。

もし、当時INASOFTに収録依頼をしていただいた方で、「当時のことを語り合えるよ」という方がいたら、ぜひ声をおかけください。作者のモラトリアム時代の非礼をお詫びするとともに、当時の裏話とか、聞かせて頂けたらありがたいです。


次回は、C++Builderで作った初期作品②を紹介します。



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