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先日、夜にマジメなラジオを聞いていたら、ゲストに出てきた学者の先生が「全くその通りですね」ということを言っていました。 別の日に、別のゲストの方(けっこうエライ人)も、そう言っていました。 一昔前であれば、「全く」の後に肯定の言葉を書こうもんなら、すぐに「全くの後には否定の言葉しかこないぞ!」(「全く~ない」、という用法しかない)と、すぐさま批判が飛んできたもんでしょうけど、今では、「全く」の後に肯定の言葉が来たら、「とても」とか「非常に」よりも、さらに強めの強調を行うための修飾語という扱いになることが定着してきたようです。 同じように、テレビやラジオではわかりませんが、ネット上のコメントなどでは「◯◯み」を普通に見るようになってきました。 「強み」「弱み」「渋み」「哀れみ」「憎しみ」のような、本来「み」を付けられる形容詞だけでなく、「眠み」「分かりみ」のように、本来「み」を付けられない形容詞にも「み」を付けてしまう用法ですね。 「眠みがある」「分かりみが深い」というように使うそうです。 細かいニュアンスは分かりませんが、「眠みがある」と言った場合、(自分が)「眠い」「眠気がくる」よりも、自己責任外の眠さが襲ってくるような感覚があるとか、ないとか。 「分かりみが深い」についても同じく。 「分かりやすい」だと「主語は自分」(自分にとって分かりやすい)というニュアンスが含まれるそうなのですが、「分かりみが深い」だと、「誰にとっても(分かりやすい)」というニュアンスが含まれるんだとか。 よく分かりませんが、そうらしいです。 と、こういう言葉も、10年後には普通に、大人も使うようになっていそうですね。 目次の表示: ブログではないので、コメント機能とトラックバック機能は提供していません。ご質問・ご意見等はメール、フィードバックまたはTwitter等からお願いします。いただいたご質問・ご意見などは、この「管理人のひとこと」の記事に追加、あるいは新規の記事にする形で一部または全文をそのまま、あるいは加工させていただいた上で、ご紹介させていただく場合があります。 当サイトでは掲載内容による不具合等に関する責任を持ちません。また、内容の正確性についての保証もありませんので、情報をご利用の際は、利用者の自己責任で確認をお願いします。 |
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