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■ゴールデンウィークの過ごし方(2)…実写版の「ひぐらしのなく頃に 誓」を観てみる

2017年 5月 3日(水) 0:00:00 [さくらのブログから転記]



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近所のレンタルビデオ屋で借りてきました。

IMG_2580.JPG

なぜ、この作品をレンタルするなどという、わざわざ自ら地雷を踏みに行くようなマネをするのか、といいますと。

知人より聞きまして。

ひぐらしがなく頃に」の実写映画は、1作目は絶望的につまらないが、2作目は「つまらないと思って観れば、まぁ、観れなくも無い程度にはなっている」という評価であると。

実際のところ、どうなんでしょう?要は、つまらないは、つまらないってことでしょうけど、絶望的というレベルでは無いということか。

ちなみに、自分がこれまでに観た、絶望的な映画と言えば、「ゲド戦記」「ドラゴンボール・エボリューション(ハリウッド版実写ドラゴンボール)」の2作品なのですが、これらよりは上ということかもしれません。とにかく観てみなければ。

というわけで、レンタルDVD屋で借りてくることにしました。

ちなみにこの日、レンタルDVD屋の床に、床と同じような色をした蛾が止まっていました。
これが擬態ってやつでしょうか。
もしかしたら、この擬態している蛾の方が、ブログネタ的に面白いという評価になるかもしれないので、いちおう写真を撮っておくことにしました。

IMG_2581.JPGIMG_2582.JPG


<以下、ネタバレありです>

・・・

というわけで、観てみた結果。

なるほど。確かに、事前の期待値をゼロ・・・どころかマイナスに・・・置いて観れば、これはなかなか、、、かもしれません。

全ツッコミどころを置いておきまして、終盤のレナと圭一の戦闘シーンは、まぁ、なかなか良かったかと思います。

夜では無かったけど。

(夜なら撮影が困難だったはずなので、仕方がない)

思い出してみると、(実写映画)第1作目の「ひぐらしのなく頃に」では、圭一が最後に錯乱する「鬼隠し編」をベースにしているので、(実写映画)第2作目である本作が、その回答編として対応する「罪滅し編」をベースに物語を構築するのは、ある意味、筋の通ったことなのかもしれません。

ただ、圭一が「思い出す」ことの重みは、他のいくつもの「カケラ」(原作)を観た後だからこそ、視聴者が共感できる重みなのであり、(実写映画)2作目でポンと思い出されてしまうのは、なんだか残念な感じもしますね。

(原作)「ひぐらしのなく頃に」全体で言えば、登場人物としては、梨花の存在が非常に重いはずなのですが、そのあたりが非常に軽んじられている・・・っていうか、あの圭一を(知っていて)許すことができるのは梨花だけのはずなので、梨花にもうちょっと比重があっても良いんじゃないかと思っています。

また、レナが狂っていくのを最後に後押ししたのは、(原作)梨花の怪しげな態度とセリフがあったからじゃないかと思っているので、実写映画でそこら辺が一切描かれていないのも、なんだか腑に落ちない。

まぁ、(実写映画)1作目から通して、全体で3~4時間程度でしょうか。たったこれだけの時間で、原作が4年間(or 4年半)かけて出品された作品群を描ききろうというのが、そもそも無理があるわけで。

かといって、3~4時間程度の映像作品に収めるために、どこか切り捨てる要素があるかと言えば・・・これは非常に難しい。

多分、「楽しい部活シーン」の一部を削り取るくらいしかないか・・・。

(原作)「鬼隠し編」で、楽しい雰囲気に浸っていた前半から一転して、レナの「嘘だッ!!」のシーンがあり、物語がどんどんおかしくなっていくところも重要なので、「楽しい部活シーン」を削り取りすぎるのも良くないか。

綿流し編(対応回答編:目明し編)は、園崎家サイドを描くには必要不可欠だし。回答編の中で、次第に梨花が不気味に描かれ始めるものとしても重要だし。ミステリーなのかホラーなのか、区分が曖昧になるあたりは良かったと思うし。

祟殺し編/暇潰し編では、雛見沢のその後の不気味さがよかったと思うし、赤坂の生い立ちと強い後悔を読者に追体験させるのに非常に重要な要素だったと思う。
というか、赤坂は最終的には超重要人物になるわけで。

様々な積み重ねがあって、罪滅し編で圭一が「思い出し」、梨花に「許される」というシーンがあって、読者はより高い感動が得られるわけだ。

また、皆殺し編で、沙都子が連れ去られたときに、梨花が即座に感じた絶望と祈りを読者が共感するためには、読者は祟殺し編の平和から絶望を一通り体験している必要があるわけで、多分これらは欠かせない。

そこで興味の対象が梨花に移る。暇潰し編で赤坂に投げかけた「東京へ帰れ」の真意は何か? 目明し編で「醤油をもらいに行く」と言って、詩音に会いに行ったときの怪しげな行動は何か? 罪滅し編でレナに投げつけた不気味な言葉の正体は何か? 罪滅し編で圭一が「思い出し」たことを「許せた」のはなぜか?

原作を読んでいた人は、ここで次のコミケまで待たされました。半年も待たされました。
で、皆殺し編で唐突に登場する、羽入。一気に伏線回収が始まる。
伏線の回収と共にもたらされる、新しい絶望感。


祟殺し編で沙都子の身に起きた出来事を知っている読者には、この先どうなってしまうのか、手に取るように分かってしまう。
物語の主要人物で、すべての記憶を持っている梨花にも、この先どうなってしまうのか、手に取るように分かる。
読者と梨花(と羽入)は同じ感覚を共有できるわけで、この物語の構築能力はスゲェなぁと感嘆してしまいました。

で、その絶望感をひっくり返す圭一。園崎家全面支援。大石刑事までこっそりと支援に回る。このときの身の震える気持ちって、多分、前作までの絶望を一通り味わっていないと、分からない感動だと思うんですよね。

すごい勢いで回収されていった伏線ですが、この時点で「オヤシロ様の祟り」として示されている事件群のうち、回答が暗示されているのはほんの一部にしかすぎないわけで、5回分の「オヤシロ様の祟り」の全容であるとか、真犯人の過去~現在であるとか想いであるとか、黒幕の暗躍であるとか、・・・みたいなところは、祭囃し編で初めてオープンにされる。

非常によくできた作品だと思います。


「鬼隠し編」だけを観て、単なるスプラッターな作品だと思い込んでいる人がいたら、それは間違い。

実は、大量の伏線と見事な回収がちりばめられているし、悩みを人と共有すべしといったようなメッセージが含まれているし、なかなか味わい深い作品になっているはずなんです。

ただ、作品が全部出そろうのに4年間(「礼」も含めれば4年半)かかっており、全部読むのに、睡眠時間を削りに削っても3日以上必要な作品群です。この作品は名作かもしれませんが、「人を選ぶ作品」であるとも言えます。そこまで忍耐力が保たないと、読み切ることができない。読み切ることが出来ない人は、単なるスプラッターな映画だと思ってしまう。もったいない。

この作品をどうやって、アニメ化だの実写映画化だのすれば、正しい表現になるのか?

だから、無理なんじゃないの?やめておけば!と思うわけですね。



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