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■こんな事が起こりえるのか? 人は35歳を過ぎたあたりから死を意識し始める

2015年 7月 8日(水) 0:00:00 [さくらのブログから転記]



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小学生の頃、星新一氏のショートショートが好きで、よく本を買って読んでいたことがありました。

その中で、けっこう、印象に残っている話があります。

確か、ある男が病気だかなんだかで、眠れなくなってしまうというもの。



眠らないでも過ごすことができるので、その男は社長と掛け合い、昼は普通のサラリーマンとして、夜は警備員として雇ってくれと頼みます。

昼と夜に働けるその男は収入も倍になる。

ところが、それでも眠りという行為の快適さが忘れられなくて、医者に相談します。どうにか、眠れるように私の体を治してくれませんか?と。

医者が提示した治療報酬は、その男がそれまで昼夜関係なく働いてきた金額に相当するもの。

それでも、趣味も遊びもしてこなかった男は、その金額で体を治療することを望みます。

男は治療を受ける。

医者「治りましたよ」

患者「何も変わっていないじゃないですか」

医者「あなたは起き上がったじゃないですか」

聞けば、患者はずっと昏睡状態になっていて、昼も夜も眠り続けていたのだという。患者は医者に、治療報酬を尋ねると、それは、今後一生、昼夜問わず働き続けなければならないほどの金額だったという。



もし自分がこんな状況に陥るならば、起こされることなく眠り続けるか、そのまま死を選ぶかしたいと思っていました。

そこで観たもう一つの話が、1996年頃に放送していた「新・木曜の怪談」の中で放送されていた「サイボーグ」のエピソード。

堂本光一が主役をやっていたやつですね。

この中で、主人公の少年は、米国留学中に爆弾テロに巻き込まれ、瀕死の重傷を負います。幸運なことに脳は無傷だったものの、体は非常に危険なダメージを負うというモノ。そして、医者(というか科学者?)が脳に直接アクセスし、その旨の説明を行う。そして「あなたは尊厳ある死を選ぶこともできるし、治療を受けてサイボーグ化して我々に協力する選択肢を選ぶこともできるが、どうするか?」みたいなことを聞かれます。少年はサイボーグ化することを望むわけですが、ここでは死を選ぶことも出来たわけですね。しかも「尊厳ある死」。

多分、さっきの、星新一のショートショートに登場する医者は、そういうようなこと(脳に直接アクセスすること)ができればよかったんじゃないかな、と思うようになりました。本人の意思が確認できれば、事もすんなり運ぶし、責任も本人が負えますからね。


さて、本題。

かなり前のことになりますが、テレビだったかネット上だったかで、人は35歳を過ぎたあたりから、なんとなく死を意識し始めるという話を聞きました。

死を意識するとは言っても、突然隕石が落ちてきてこの瞬間に死ぬとか、寝ている居間に車が突っ込んできて死ぬとか、そういう突拍子もない死に方ではなく、もうちょっと現実的なやつ。

定年退職後に子供の成長を見届けて死ぬとか、孫の顔を観てから死ぬとか、あるいは20年後くらいに肝臓ガンになって死ぬとか。

このご時世、大抵の病気は治せてしまうことが多い中で、やはりガンによる死亡ってのは、結構ありえることなんじゃないかとも思ってしまいます。

自分が60歳頃に死ぬとしたら、子供は何歳くらいになっているか・・・そのとき成年しているかな?結婚して子供はいるかな?

子供が就職していれば、家計は危うくならずに済むかな?とか、そんな感じの。

10代の頃は、自分が人生の折り返し地点より後だろうなんて、これっぽっちも思ったことなんかなかったけど、たぶん、今の自分の人生は折り返し地点を回った後なんじゃないかと、なんとなく想像するので、そこら辺も真剣に考えます。多分なんとなく、3日に1度くらいは考えている気がする。10代の頃は、エロイ事や教室テロリストのことを妄想していたのに費やしていた時間が、そのまんま、死について考える時間になっている気がする。

教室テロリストは無いにしても、ISが日本に入り込んできてテロ行為をするのにブチあたる可能性は少ないにしても、先日の秋葉原の事件みたいに、突然おとなしかった人物が無差別殺人の凶行に及ぶとか、ネットで募った仲間と見ず知らずの人を襲うとか、そういうのにブチ当たる可能性は、それなりにあるかもしれない。

意識不明の重体みたいになって、脅威の科学力で生き返れることがあったとして、その時自分の意思は確認してもらえるか。

いや、まぁ、意思とか関係なく、家族は生き返らせようとするかもしれない。まぁ、高額治療費や後遺症対応費のせいで、家のローンは払えなくなるかもしれないから、近所の安っっいアパートに引っ越す必要は出てきそうだ。

そうなると、尊厳ある死とやらを選んで、家族が保険金で生活していくほうが、総合的に幸せかもしれない。

・・・ってな感じで、何かの思考のきっかけから、死について考える時間ってのが出てきちゃいますね。

そんな35歳。



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